230426
僕は今毎日を、大きな心配事や不安もなく健康に、親も兄弟も健康に、生かしてもらうことが出来てる。仕事では、自分から望んだわけでも、考えたわけでもないけど、どこかの誰かが、もしくは知り合いの方が話をくれて、思いもよらなかった出会いの場を作ってもらって/プレゼントしてもらって、そしていろんな人の顔を撮影させてもらって。場合によっては、その人の会話も聞くことができて、予期しなかったたくさんの機会を、いただいてる。
世の中にはいろんな人がいる。それはそれは、うんといろんな人が。
親のこと、子供のこと、家族のこと、恋人のこと、友達のこと、海外に住んでる人のこと。いろんな人との関係性。いろんな出会いがこの世の中に溢れてる。
命を持った個体として人間は成り立っていて、そしてそれぞれに生年月日があって、違う時代を生きる人もいれば、同じ時代で生きる人もいる。そしてその中でもどこかのタイミングで交差する人もいれば、一生出会わず死んでいく人もいる。中にはもう死んでこの世にいない人なのに、その人のことを勉強したり、画像で見たり、聞いたり、そんな出会いもある。
人間って不思議。時代って不思議。
おじいちゃんが2022年の年末に亡くなった。僕はあと一歩というところで、おじいちゃんが死ぬところに立ち会うことが出来なかった。おじいちゃんに、ちゃんとありがとうと生きてる間に伝えたかった。でもおじいちゃんは先に逝って、僕が死ぬ間際の顔を覚えたり、その後引き摺らないようにきっと死に際を選んだんやと、勝手ながら今では解釈してる。信じてる。
いろんな悲しみがある。そして、希望がある。
人が生きることはきっと、すごくシンプルなこと。僕が望んでいることも、実はすごくシンプルなこと。ちゃんと、健康に毎日過ごすことが出来ていたら、楽しく過ごすことが出来ていたら、本当はそれだけですごく十分。
今、こうやって去年から、写真撮影を仕事としてさせてもらう/任せてもらうってのは、生きることを考えたときには、全ておまけでしかない。写真を撮る行為自体は、僕でなくても、その場に居合わせた人にもできるわけだから。でもそれをお仕事として人様からいただいて、写真を撮る者に、その時間だけはさせてもらえるんだから、それを続けさせてもらえる現実は、幸せ者でしかない。
年上も年下も関係なく、人に出会うこと、人を見ることは何だって、いつだって、勉強させてもらえるし、どんな人であれ、教わることや教えていただきたいことは山程ある。
ちょっとでも、何かのきっかけで互いの人生が交差したなら、同じ場所に居合わせたなら、そっぽ向いてないで、なんか話聞かせてよ、教えてよ。こっちも目見て話聞くからさ、ときには視線返してよ。
好きな音楽を聴けて、書く時間を持てて。
それ以外、他に何を望むのか。
今日も、無事に生活できていることに感謝。
ちゃんとその気持ちを、自分の心と身体にも、そして相対した人にも伝えような。