日々
日々、いろんな人が、いろんな場所で、いろんなことを。おもいおもいに、淡々と。
たまたま、そこに居合わせた人と
たまたま、時間を共にし
たまたま、口から出た言葉。
ほんまに出来るんやったら、
それを全部記憶しときたい。
見えてた景色に、天気,
その人の表情、喋り方、声、言葉
でもそれはできひんから。
せめて、文字に残しとこう
欠けら。
これは欠けらの寄せ集め
でもな、むっちゃ、その、嬉しいとか悲しいとかそんなんじゃなくて、もうめっちゃ泣きたかったかな。やし、「わー」って思ったけど、そん次はもうどうしようって感じやって。でもどうしようってなったけど、堕ろすとかは別に考えられんかったから。「え!」もあるし、感動もあるし、不思議な。うん、これはたぶん分かってもらえへんかも。不思議な感覚やし、もうほんまになんか自分がどういう気持ちかも分からんかった。悲しくも嬉しくもない、不思議な感じ。
私、中途半端やねん。中途半端の台湾人で、中途半端の日本人。あんたもちょっと喋って、発音変やて気付いたろ? 一応もう、帰化申請したから日本国籍になっとるけどな。
父親は寿司屋さん。お父さんと、板前さんと、んでお父さんの同級生の鼻垂れの林田くんの3人で。林田くんは、クラスきっての数学で頭がきれる子やってんけど、貧乏人でどこにも雇われへんかったから、ばぁばの父親がお店出すときに、会計士として引っ張ってあげてん。で板前の真ちゃんはごっつい修行して、大きい束にも所属しとったから、天皇陛下が来るときなんて神戸市からお声がかかりよってん。あの人は表出るのは嫌い、で喋るのも嫌い。でも腕は凄い人やったわ。
ちょ、あんた、あれ見て。あの人らおるやろ? あの人らこの公園9時に集まって、毎朝「ゲートボール」しとるねん。毎朝やで? 飽きひんのかな? んであの人らな「今日もゲートボールですか?」って私が声かけたら怒るねん。「誰がゲートボールや!」って(笑)。 あの人らゲートボール言わへんねんて。「グランドゴルフ」らしいわ。なんか「ゲートボール」言うたら悪う聞こえるとでも思とんかな? それかゴルフやってるいうごっついプライドでもあるんかな? まぁやってないもんからしたら、本間どっちでもええねんけど。今日も声かけた。「えらい朝から、ゴルフ、ゴルフ、グランドゴルフですかぁ?」って。持ち上げやん、持ち上げ(笑)。
自分の子供を産んだ瞬間が、人生で一番悲しかったかな。私が26のとき。未婚で、男もおらんと、1人で産んだ。子供を堕ろす選択もあったんやけど、堕ろす金すらなかったから。結局産婦人科も行かず、ずんべらぼんで産んだ。んで私は仕事の関係もあって昔から酒飲みなんやけど、子供生まれたときもやめれんでな。結局いっこもなつくことなく、私をほってあの子は出て行ったわ。喧嘩しても「お前は俺の親じゃない」「お前は私の子供でもない」の言い合いで、今日まで分かりあえずってところ。もう当分会ってないけど、今どないしてるんやろ。あの子も心では思ってくれてるんかな?
僕は今脳梗塞で左半身が思うように動かないの。もう、毎日が自分の体との戦い。正直、つらいなぁ。一人じゃ何にもできない体になったし、どないしたものか。日に日にできんことが増えるから、自分も終わりが近づいとる証拠なんやろなぁ。リハビリに戻るけど、また会えたらええな。一日でも長く生きます。
こんな特殊なチャリンコ見たことないやろ兄ちゃん! もうここらで乗っとるのもわしくらいや。15万はりこんだわい。
昔は神戸の卸売市場言うたら、日本一やったんやで。ええもんしか置いてへんかった。せやけど今は客が減ったから、倉庫には売り物か、売り物でないかも分からん余りもんがようさんあるわ。ええもんはみな、神戸にこんと、大阪や京都に流れてまうんよ。
子育てなんかしたことないのが正直なところかな。ほったらかしてばっかりやったわ。それこそおしゃぶりだけさせて、背中でおんぶしながら、私も仕事しよったもんね。
家内に昨日伝えたんや。「俺が先に死んだら、お墓に入れたりなんてせんでええ。どっかの山に放り投げるでも、なんでもお前が一番楽なようにせえ。ただお前が先に死んだときは、ちゃーんと墓にも入れてやるし、お前の友達みーんな呼んで、最後まで幸せに送り出したる」って。
うちのおじいちゃんは商売をやってたんで、色んな人との付き合いもあってか、夜のお水な場所にも詳しい人間やったんです。である日おじいちゃんがこっそり僕を家から連れ出してくれたことがあって、2人で京都・祇園の、「いちげんさんはお断り」って書いてあるような、舞妓さんがいっぱいの所に連れて行ってくれたんです。中学生ですよ(笑)。で、まぁ10代やったんで、もちろんお酒は飲めませんでしたけど、そこで色んな手ほどきを受けまして(笑)。普通ね、あんまりこういうことは孫には教えないじゃないですか。でもまぁうちのおじいちゃんは、ね。ま、あとで、おばあちゃんとうちの母親にばれて、めちゃめちゃ怒られてましたけど。
だってここは神戸。小さいときからの本音を言いあえるような友達は、北海道にいるの。Kさんと娘2人と一緒に神戸で過ごしたことは、何も悔やんでない。でも両親から遠く離れた場所に行って、わざわざそこに長く留まる必要があったのかって考えると、今でも分からないの。
今こないして兄ちゃんと喋る分には、耳聞こえてるねん。でも家帰ったあかんねん。怒られんねん、テレビの音が大きいって。せやから晩でも俺自分の部屋行って、一人でテレビ見るねん。嫁はんはだいたい18から20や。俺は24か26や。あかんねん、怒られるねん。こないだの年末に、息子らが家帰ってきたときも、それで注意されたわ。せやから正月から一人でテレビ見たがなぁ。
トショカン means ”a friend”?
うまいことできてるよね、人間って。嬉しかったり、楽しかったことは、よう覚えてるけど、悲しかったことは、だんだん薄れていくの。
でももちろんどんなときだって私にも思ってることはあるし、考えてることもあって。だから「私はここに存在してるんだよ」って、ちゃんと伝えれるようになりたいねん。私は思ってることとか、考えてることを自分の言葉で伝えるのがすごい苦手で、つい「わぁ」とか「あぁ」とかで表現してしまうけど、ちゃんと言葉に気持ちをのせて伝えれるようになりたい。伝えないと相手も分からへんやん。
帰ってもベトナムにある日本の会社に就職して、またいつか日本に戻ってきたいです。
結婚したいとか、子供がほしいって願望、あまりないんです。なんせいうても先のことなんで、本気で考えれないのが正直なところです。
声が出ないのは辛かったですよ。お喋りができないんですもん。意思の疎通も取れないし、精神的にしんどいものがありましたね。頑張って声を出しても、ひそひそ話のようになって、相手も耳をすます姿勢をとりますから。あれがなんとも苦しかったですね。
おじいちゃんは僕が19のときに心不全で亡くなりました。散髪してくれたり、飯に連れて行ってくれたり、僕にとっては大きな存在でした。まだまだ長生きしてほしかったのが正直です。
何が正しいんだろう。何が正しいのか分からんから。まぁ生きててよかったって思うことは、うんー。ある。いっぱいあった。うん。そうだねぇ、うーん。やばい、止まんないなぁ。ごめんね。
下駄履き続けて今年で53年なる。家が貧乏やったからな、靴買うお金が昔はなかったんよ。そやからお前、運動会のときでもみ~んな運動靴やったけど、俺だけは下駄履いて走りよったもんね。それでも運動靴の子に負けん速さで走れたんやで。ただ毎回朝礼では注意された。「お前、また今日も下駄か」って。買う金がねぇんだから、仕方ねぇじゃねぇか。結局それで下駄が体に染み付いちゃって、大人になっても下駄生活や。仕事も運動するのもみ~んな下駄。そりゃお前、今まで抱いた女の数は数えるほどやけど、履いた下駄の数言うたら日本でも1位・2位争うんちゃうか。そりゃちょっと言い過ぎかもしれんけど。
僕歳いくつや思う? 実はね、62やねん。若く見える? 普段からファッションには気をつけとってね、今日もこの赤いコートに合うように、全部合わしてきたんや。どう? センス感じる? メガネもこれジョン・レノンと同じやつやで。あのみんなが持ってるレイバンとかとちゃうねんで。センス感じるやろ?
こういうジャケットを着ることに、ずっと憧れがあったんです。『相棒』ってドラマがあるんですけど、そこで成宮さんがジャケットを着ていて、格好いいなぁと思って。ま、今捕まっちゃってるんでアレなんですけど…。
お前これ切りすぎだって!こんなんが教室に入ってきたら一同わくぞ。アッコさんみたいになってんじゃん。「切りすぎまして」じゃねぇよ。
私ね、震災で子供亡くしたのよ。13歳と14歳の息子と娘。2人とも中学生で、「明日も学校やー」なんて言って普通にあの日は寝たんよ。そやけど、地震が来て、子供達は下敷きや。圧死って言うんかな。で私と旦那は無傷。生き残ったことが「不幸中の幸い」やなんて、言えへんかったよ。でもねぇ、もう22年が経ったから、心の整理はできたんよ。こないして他人に話すこともできるし、24時間寝ても起きてもこればっかりで気が狂いよった時期は終えた。ただ、今でもあまり喋りたくないのは確か。新しい人付き合いなんかで、「お子さんは?」って聞かれるのが一番辛い。「亡くなった」って言うか、それかもう「いや、うちはいないんです」って答えるか。また説明するのが苦しいから。あまり考えんようにはしてるけど、やっぱり今生きてたらどうなったやろって、想像もしてしまう。だって親やもん。
最近考えるんやけど、上から物落っこちてきて死んだり、道歩いてて車に轢かれたり、やっぱり運やね人間の命は。ほんまに運命ってあるんやろうね。可哀想な話やけど、生まれつき手や足のない子もおるやん。でもこの現実もその子に与えられた運命なのかもしらん。世の中、本人の努力で人生変えれることもあるけど、運命にもだいぶ左右されるんやろうな。最近こんなことばっかり考えてるわ。もう歳で死ぬの近い証拠やな。
「うん、治ることを信じて頑張りましょう」みたいなことを言うたんよ。でも本間にそんなこと言うてええんかなって。すい臓癌が治る見込みなんかあんまりないのに、軽々しく言うてええんかなって。その時俺なんて答えたらよかったんか、まだその時のこと思い出したら分からんねんな。その人は亡くなった。
難しいな仕事が。あと、最初はやっぱ金稼がれへんからさ、辞めたいなぁもあったよ。でも頑張って続けよみたいな、未来を、未来? 未来っていうか、なんつったらいいんかぁ、時期に稼げるようになるっていうのを信じて、今やってるけど。揺らいだり、揺らがんかったりそこが。そうそうそう。
「東京行かせて!」ってお父さんに相談したんや。そしたらまた「一人では危ない」って言われて。でもさすがにそんなん聞いてられるかと思て、行ったよ、東京。いや、何が危ないん? 女の子一人でいることの。あんたみたいな子がおるから?
今座ってるここあるやろ。ここは亡くなった主人がいつも仕事終わりにプラっと来て、一服してた場所やの。ここでいろんなこと考えたり、商売のこと考えたりしてたんやろなぁ。普段私になんか、いちいち言わん人やったし。あの人商売好きやったなぁ。あーやっぱりね、同じ場所座ったら色々思い出すよ。私は主人と出会えて幸せ者や。
朝はだいたい深夜の1時から仕事しよる。こんなに朝が早くなったのなんでか分かる? スーパーや。スーパーが現れたから。昔はもっとゆっくりやったんやけど、スーパーができて、お客さんがそっちに行くようになった。お客さんも単純なもんで、安いものあったらできるだけ安いのんがええやん。となるとここらで扱うような、新鮮なもんはちょっと高いんや。ほなスーパー行くやろが。
いつまでたっても新入社員と間違えられるの。営業先で「おう、新人か?」とか言われて、「あ、違います」言ってさ。「え? 3年目? 3年目だったらもっとしかりしなあかんのちゃん?」って言われて(笑)。「しゅみましぇ~ん」みたいな。 そんな感じよ。
ええ顔してたら自然と前進できる。人は言葉で語れるけど、目と顔つきでも十分伝わるんやで。
万歩計つけて歩いてるねん。今は9万、あ、ちゃう。ちゃうちゃうちゃう。9千600歩や。結構歩いてるでしょ? いや6,千900か。逆から見とったわ(笑)。
ライフとドンキにビール買いに行くねん。
もっと集めたい
もっともっと、いろんな人と喋って
もっともっと、話聞いてみたい
そしていつか、
莫大な量の言葉たち並べて
人間図鑑、つくってみたい。
今日がどんな一日やったかも、何を考えてたんかも、
この先なんかをきっかけに思い出せても、
もう一生、再現は不可能
ならちょっとでも記録して残したい
写真でも、文章でも、録音でも、録画でも、なんでもいい
なんでもいいから、なんか残しときたい
別にそれ見て、なんも思い出さんくてもいい
そこにあったらそれでいい
そこにあったらそれでいい
そこにあったらそれでいい