タクシーの運ちゃんになって40年以上。最初始めた時は嫌々でした。

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タクシーの運ちゃんになって40年以上。最初始めた時は嫌々でした。僕は6人兄弟の長男に生まれて、大学卒業してすぐに建設機械の営業マンになったんです。それで当時やと初任給が7千円で、辞める前は1万2千円。今で言う30万円くらいの価値や思ってもろたら。でも下の5人もみな大学行って勉強したい言うて、とてもやないけど親父だけの給料じゃそこまでは無理やと。それで僕が犠牲にならなしゃーないなと、転職したわけです。その当時でタクシーの運ちゃんは月給が4万、5万で、今の何倍もええ給料やったんです。それで下も全員大学行かせました。もう今となっては全員定年も迎えて とうの昔の話ですけど、今でもみな感謝してくれて嬉しいもんですよ。ほんまによう勉強もできた奴らで、結局一人は三菱重工、一人は川崎重工、一人は学校の先生で校長までなりました。みなそれ相応に僕にも生意気言うようなって にくいところもありますが。

時折、前の仕事辞めずに続けてたら今頃役職もついて退職金もよーさんもろて 極楽やったやろうなぁと考えます。まぁでも終わった後にそんなん言うても後の祭りやし、もう慣れた時にはこの仕事も大好きになってました。いろんなお客さんとこないして会話してね。それにやったらやった分言うのも自分の性に合ってて楽しい。自由奔放に続けてきましたよ。

それはそうと今日は今年最後ですね。お兄さんは鈴蘭台まで何の御用で?僕はねぇ、今日は実は孫が家に来てお昼一緒に食べるんです。1番下は小学校2年生、まだまだ可愛いもんですよ。この後12時からの約束でしたが、もう12時も回って おじいちゃん遅刻です。また孫に叱られちゃいますよ。2019年は時間守れますようにと、明日初詣に願ときましょかねぇ。ははは

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怖いのはいつだってコレだよコレ。

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仕事は仕事だから自分の家のために歯食いしばってやったもんですよ。