ただね、その意味を追求するために生きたり、生活があるんです。
僕の父親は大正生まれの頑固な人間で、黙々と働く人でした。そんな父親から僕も学んだことがいっぱいあるんです。中でもこれは直接言われたわけではないんですけど、その生き様からね、どんなときでも「根性」を出して、誰に馬鹿にされても、ただひたすら我慢して自分の使命を果たすことを学びました。
何でもそうですけど やっぱりやり続けることや、それをすることに意味があるんです。毎日の中にはサボりたい時も、めんどくさい時もそりゃあります。で時にはやる意味を見失いますし、分からなくなる時もあります。今僕がやってる清掃員にしても、掃いても掃いても捨てられるゴミに終わりがないので、何で自分が掃除をするのか分からなくなることもあります。ただね、その意味を追求するために生きたり、生活があるんです。分からないから、追求するんです。でその先に、どこに到達するのか、あるいはどんな自分になってるのかも分からないですけど、それこそ死ぬ時の生き様がどうであったかを見てもらえたらと僕は思うんです。で自分でも死ぬ間際に生き様に満足できれば、それは良い人生やったと言えるんじゃないですかね。
父親が亡くなったことはやっぱり今でも悲しいです。ただ僕の中であの生き様というのがしっかり生きてるのでね。また生まれ変わって来世で、父親と出会えたらなって思うんです。