こんなことを口にすれば、僕から人が離れていくことも分かる。その程度を気にしてしまう、僕も小さな人間なんや。

 僕らが生きてるこの今世ってのは、過去世で間違えてきたことを懺悔できる構造になってるねん。ちょっと宗教じみた説明になるけど、自分という存在は、過去世から派遣されて今ここにあるねん。だから過去世にやってきたことを身に受けて、それを自覚して浄化させて頂くのが、今世に生きる僕らのやることやねん。

 ただこんなこと言うたら失礼やけど、普通の人間は自分が過去世にしてきたことを分からずに、もっと言うとそんなこと考えもせずに、横の人を妬み、恨むねん。それでいて苦しいときには、助けてって、言葉や体で表現して、精一杯周りにすがる。僕も含め自分勝手な生き物なんや。

 自分が人に対して してしまった罪や過ちを、何であんなことしてしまったんだろう、何であのとき人を傷付けてしまったんだろ、あぁ本当にごめんなさい。って懺悔する人は、この世にはほとんどおれへんねん。

 本間に一回考えて。胸に手を当てて考えて。本当の答えは周りに聞くことでも、周りが語りかけることでもないの。自分自身が悟れば見えるし、分かるはずやの。だから多くの人に悟ってほしいねん。悟られなあかんねん。もっと言うならその本人が悟らなあかんねん。それを分かってるもんが大概辛い。大概辛いんよ。

 そういう懺悔をするために手を取って導いてくれる会みたいなものも存在する。宗教の教えだってある。だから人に手を差し伸べてくれる場所はたくさんあるの。

 ただな、エゴの世界や。公の集まりで話されることは、多くが綺麗事ばっかり。どんな団体も結局は組織。みんなで集まってワイワイして、時にはダジャレなんか言うて言葉を上手に並べながら、お茶出して終わるんよ。それが人やねん。世の中やねん。

 中にはな、綺麗事で済ませとかな苦しすぎる、本間のこと打ち明けたら苦しすぎる、そういう人もおる。でも多くの人は悟ることをしないし、一日を終えるときに思い出したらいいけど、今日一日で本間に正味、心から湧き出した言葉を何回口にした? 本間に大事なことは過去世からの懺悔を行おうと、必死に打ち当たって、苦労して、どつかれ、泣かされ、そのときの感情を、根性を、相手にぶち当てることと違うんか?

 そのことを無性に言いたいけど、世間にはそれが通じひん。強いものが弱いものを食べるように出来上がってしまってるんや。それにこんなことを口にすれば、僕から人が離れていくことも分かる。だから声を大にしても言えん。その程度を気にしてしまう、僕も小さな人間なんや。

 だから頼む。あんたらの様な若い人が、これから多くの人を導いていってな。神髄を知った上で各々の表現でいいから。せやけど、僕が言うてることはあくまで、一人のおっさんの考えにしか過ぎん。そういう考えや事実があるってことくらいに思ってもろてもいい。大事なのは自分の判断で、正しいと思うことに動くこと。

 宗教っていうのは結局は一つの教えやから、情報にすぎんのや。


 定年を超えた男性が、目の前で、周囲の視線も気にせず、泣いた

 その人の痛みや苦しみが

 自分には到底計り知れなくて

 聞くことが辛くて

 もう言わんといてって

 何度も逃げ出したくなって

 ただ奥歯を噛んだ

 でも聞く

 その勇気だけは保とうと

 じっと、横で座ることしかできなくて

 どこへ行くとも、当ても何もなかったが

 ただどこか遠くへ消えたくて

 別れた後、真っ直ぐ山側へ歩いた

 何も考えられない

 空っぽの状態でずーっと

 

 気づいたら辺りは暗く

 人も、車も、街灯もない、山奥に一人

 今さっき歩いてきた道のはずなのに

 自分がどうやってここまで来たのか

 全然感覚がない

 そっからどうやって家に帰ったのかも、まるで記憶がない

 でも不思議と、語りを読むと思い出せる

 その人の顔、声、表情、声をかけた場所、座った場所、天候、時間…

 あれからちょうど四年が経った

 今でもあの声と、涙が見える

 「分かってるもんが大概辛い。大概辛いんよ」

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待っててくれる人がいらっしゃるから。それが私にとって、ちょっと生き延びるというか、死ねないというか。

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たぶん俺、自分の安心する場所を作れたんだなって思ったんだよ。実家とか家族から離れたところで。これでよかったんだって思えたんだよ。